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伊藤正徳 (軍事評論家) : ウィキペディア日本語版 | 伊藤正徳 (軍事評論家)[いとう まさのり] 伊藤 正徳(いとう まさのり、1889年(明治22年)10月18日 - 1962年(昭和37年)4月21日)は日本のジャーナリスト、作家、軍事評論家。海軍部内に精通し、大海軍記者と称された。 == 生涯 == 茨城県水戸市生まれ。1913年(大正2年)慶應義塾大学理財科を卒業し、時事新報社に入社。以後中部日本新聞主筆、共同通信社理事長、日本新聞協会理事長、時事新報社長、産経新聞顧問等を歴任。1961年菊池寛賞を受賞。 大正から昭和にかけて時事新報の海軍記者として黒潮会に属して活動し、戦後は第二次世界大戦の戦記を執筆。『連合艦隊の最後』などのベストセラーを世に送った。海軍のブレーントラストの一員であり、本人は"海軍のフレンド"と称していた。記者生活の傍ら、母校慶應義塾大学で軍事学の講義を受け持っている。 なお山本五十六が親友の堀悌吉が予備役に編入された際、「海軍の大馬鹿人事だ」と語った相手が伊藤である〔池田清 (政治学者)『海軍と日本』(中公新書)P83〕。
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